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「賞与を決めるのが、だいぶ楽になる」—その一言ににじむ経営者の孤独

    
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「賞与を決めるのが、だいぶ楽になる」—その一言ににじむ経営者の孤独

社員向けの新人事制度説明会が終わり、会議室には社長と私だけが残っていました。

社長は、今ちょうど説明したばかりの資料を机に並べ、じっと見つめていました。私はあえて言葉をかけず、隣で資料を整えながら社長の言葉を待っていました。中小企業の経営者にとって、新しい制度を導入することは、単に「ルールを変える」という話ではありません。
それは、自分のこれまでの経営のやり方や、社員との向き合い方そのものを見つめ直す作業です。しかもそれは、とても個人的で、正直、痛みを伴うものでもあります。

しばらく沈黙が流れました。
やがて社長は、顔を上げることなく、独り言のように、それでいて確かな重みを込めてこう言いました。

「これで、ようやく……。賞与を決めるのが、だいぶ楽になりますよ

人事制度を導入した後、経営者からよく聞く言葉です。
けれども、その「楽になる」という意味は、単に事務作業が簡単になるということではありません。

そこには、もっと深い感覚があります。

長年、自分ひとりで抱え込み、誰にも共有できずに背負い続けてきたもの。
「誰にいくら出すのが正しいのか」「本当に公平なのか」「あの社員はどう思うだろうか」。
そんな葛藤や迷いから、少しだけ解き放たれたような感覚です。

それは、制度によって判断の基準が言語化され、自分の中だけにあった物差しが、ようやく外に出たということ。
いわば、長く続いてきた“見えない呪縛”がほどけた瞬間なのだと思います。

経営者の肩を重くしていたもの

今回のプロジェクトは、社員数が20名を超えたことがきっかけでした。

これまでは、社長が一人ひとりの働きぶりを肌感覚で把握し、その都度判断してきました。けれども、人数が増えるにつれ、「なんとなく分かっている」では済まなくなってきたのです。

特に負担になっていたのが、年に2回の賞与決定でした。

打ち合わせの中で、社長はぽつりぽつりと本音を漏らしました。

「賞与を決めるのが、人事判断の中でも一番悩ましいんです」
「業績を反映しているつもりですが、社員はどこまで理解しているんでしょうか」
「そもそも、自分の評価は本当に正しいのか分からなくなることがある」

どれも強い言葉ではありません。
しかし、その一つひとつに、言い切れない葛藤がにじんでいました。

業績が良い年でも、「あの社員は本当に評価に値するのか」と迷う。
逆に、厳しい状況の中で踏ん張ってくれた社員に、十分に報いたと言い切れるのかと自問する。

最終的には社長が決めるしかない。
そして、その判断基準は自分の頭の中にしかない。

だからこそ、「自分は公平だ」と言い切る自信も持ちきれない。
社員に説明するたびに、どこか心がざわつく。

説明会後に出た「これで楽になりますよ」という言葉。
その裏には、これまで積み重なってきた苦しさがありました。

判断を間違えていないかという不安。
社員にどう受け止められているかという気がかり。
そして何より、「経営者としての自分は正しいのか」という問い。

制度は、単に評価を仕組みに落とし込むものではありません。
社長の頭の中にしかなかった物差しを、言葉にし、共有できる形にすることです。

「評価が正しいのだろうか」という問いの裏にあったのは、自分自身への小さな不信感でした。
そして制度ができたとき、その不信感は「説明できる」という安心感へと少しだけ変わったのです。

賞与が楽になるというのは、作業が減るという意味ではありません。
判断を一人で抱え込まなくてよくなること。

その違いは、思っている以上に大きいのです。

「さじ加減」という名の孤独な闘い

多くの経営者が、賞与の時期になると夜遅くまでオフィスに残り、エクセルシートと格闘します。

「A君は今期、大きな失注があったけれど、フォローに奔走してくれた。でも数字は目標に届いていない」
「Bさんは地味な仕事だが、彼女がいなければ現場は回らない。でも、それをどう金額に反映させればいいのか」
「C君は数字はいいが、周囲との摩擦が絶えない。ここで色をつけすぎると、他のメンバーが納得しないのではないか」

一人ひとりの顔を思い浮かべ、その人生の一部を預かっているという責任感。それと同時に、明確な基準がない中で「結局は自分の気分で決めているのではないか」という自責の念。

社長が仰った「さじ加減」という言葉。それは決して適当に決めていたという意味ではありません。むしろその逆です。 一人ひとりの事情を汲み取り、悩み抜き、何とか公平であろうと足掻いた結果、どこにも正解が見つからない。その「正解のなさ」を、社長は自嘲気味に「さじ加減」と呼んでいたのです。

「説明しづらかった」というのは、社員から文句を言われるのが怖いからではありません。 「なぜこの金額なのか」という問いに対して、自分自身が100%納得できる根拠を持てていなかった。 そのことが、誠実な経営者であるほど、耐え難い苦痛になっていたはずです。

「分配をどうするか」という悩みは、裏を返せば「誰も取りこぼしたくない」という強い責任感の現れでもあります。しかし、その優しさが、基準のない中では「迷い」という悩みに変わって、社長の精神を削っていた。私は、社長が漏らした一言の中に、その積年の疲弊を感じ取らずにはいられませんでした

社長の言葉を「経営の判断軸」へと翻訳する

私は、コンサルタントとして「素晴らしい仕組みができましたね」と手放しで称賛することはしません。また、計算式が自動で数字を弾き出すことだけを良しともしません。

社長が「楽になる」と仰ったとき、私はあえてこう切り出しました。

「社長、その『楽になる』という感覚を、もっと具体的にお教えください。どの部分が一番、肩の荷が下りたと感じていらっしゃいますか?」

私がこの時、支援の方向を「制度の完成」から「運用の腹落ち」へと明確に変えたのには理由があります。 制度というものは、導入した瞬間がゴールではありません。実際に賞与の金額を社員に手渡すとき、社長がどんな顔をして、どんな言葉を添えるか。そこまで含めて「人事制度」だからです。

社長が「さじ加減」に疲れていたのであれば、必要なのは複雑な計算式ではなく、「社長が自信を持って決断できるための、納得感のあるステップ」です。

私はその後のフォローアップで、単なる評価シートの書き方ではなく、「評価の結果、どういうメッセージを社員に伝えるか」という対話の設計に時間を割くようにしました。

介入の仕方も、上から教える講師のような立場ではなく、社長の横に座り、「この基準なら、A君に対して納得感を持って話せますか?」と、社長の内面にある判断基準と、新しい仕組みを擦り合わせる作業に徹しました。

私が大切にしている距離感は、「社長の言葉にならない想い」を、組織を動かす「客観的なロジック」へと翻訳するパートナーであることです。 「この制度なら、迷いなく自信を持って説明できる」 そう思えるところまで、社長の思考を整理し、伴走し続ける。それがコンサルタントとして関わる価値だと考えています。

言葉にできたとき、孤独な経営は終わる

経営者は、常に孤独です。 特に人の評価や処遇については、役員にさえ相談できないこともあるでしょう。 自分の中にしまっている言葉、飲み込んだ違和感、そして社員への想い。

それらを「制度」という器に流し込み、目に見える形に整える。 それは単なる管理業務ではありません。 経営者が自分自身の迷いに決着をつけ、社員と対等に向き合うための「覚悟」を決めるプロセスです。

もし、賞与の時期が近づくたびに、どこか落ち着かない気持ちになったり、社員の顔を思い浮かべながら「本当にこれでいいのか」と考え込んでしまったりしているのなら、それは真剣に向き合っているからこそ生まれる感覚です。
迷いがあるということは、流れ作業のように決めていないということでもあります。

ふと口にした言葉や、頭の中でぐるぐるしている違和感の中に、これからの判断軸のヒントが隠れていることは少なくありません。
その曖昧な感覚を丁寧に言葉にしていくことで、「なんとなく決める」から「自分の基準で決める」へと少しずつ変わっていきます。

まずは、今回の賞与査定でいちばん判断に迷った社員のことを思い浮かべてみてください。
なぜ迷ったのか。
成果の問題なのか、姿勢なのか、将来への期待なのか。
頭の中で引っかかっている理由を書き出してみるだけでも、思考は整理され始めます。

誰かに見せる前提でなくて構いません。
まとまっていなくても大丈夫です。
言葉にしてみること自体が、経営の軸を磨く一歩になります。

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