部下を「良い評価」にしたのに…―管理者のため息と、埋まらない溝の正体
評価シーズンの午後、部下との面談を終えた営業課長の佐藤さん(仮名)は、ひとり小さく息を吐いていました。
手元にあるのは、部下である若手社員・A君の評価シートです。 そこには、今期彼が達成した数字と、佐藤さんが書き込んだ「よく頑張った。来期はさらにリーダーシップを期待する」という言葉。そして、全社基準に照らし合わせた「Bプラス」という評価。
客観的に見れば、悪い内容ではありません。むしろ、順調な成長と言えるはずです。 しかし、佐藤さんの胸の奥には、正体のわからない「違和感」が残っています。
先ほど行った評価面談。佐藤さんが「期待しているよ」と伝えたとき、A君が見せた、あの一瞬の「無」に近い表情。 「ありがとうございます。……頑張ります」 丁寧な言葉とは裏腹に、彼の視線はどこか遠くを見るような、諦めに似た静かな光を宿していました。
「(何か、違うことを言いたかったんじゃないか……?)」
佐藤さんは、その違和感を言葉にできないまま、表向きな何もなかったように面談を終えました。
「成長予感」という名の、見えない重圧
社外人事パートナーとして現場を歩くと、こうした「管理者の、言葉にならない戸惑い」に頻繁に出会います。
社長はよく、こうおっしゃいます。 「うちは評価制度も整えたし、面談も仕組み化した。社員には「この会社での成長イメージ」を持ってほしいし、仕事を通じて会社へ「貢献しているという実感」を味わってほしいんだ」
その思いは、紛れもなく本物です。社員の幸せを願い、そのための投資を惜しまない。その努力は、現場の管理者も十分に理解しています。しかし、現場で起きているのは、社長の熱い想いが管理者のフィルターを通る瞬間に、なぜか「重たい荷物」に変化kしてしまうという現象です。
管理者の心の中を、少しだけ覗いてみましょう。
「『成長予感』って言うけれど、部下にとっての成長って何だろう。今の延長線上に、彼らが望む未来はあるんだろうか。会社が求める『リーダー像』を押し付けることが、本当に彼らのためになるのか……。正直、僕自身もこの先どうなるのか、確信が持てないのに」
「『貢献実感』を味わわせろと言われても、結局は数字や効率の話に帰結してしまう。彼が今日、顧客のために尽くしたあの小さな工夫は、今の評価シートのどこに書けばいいんだろう」
管理者は、社長の「理想」と、部下の「リアル」の板挟みになっています。 社長から渡された「評価制度」というツールをどう使えばいいのか分からず、結局、誰を傷つけることも、誰を喜ばせることもできない、無難な「言葉の羅列」で面談を終えてしまう。
あの時、A君が見せた「無」の表情は、管理者である佐藤さんが発した言葉が、彼のリアルな努力に1ミリも触れていなかったことへの、静かなサインだったのかもしれません。
よかれと思って打つ「対策」が、溝を深める
こうした状況を打破しようと、経営者の皆様は次々と手を打ちます。
- 評価者研修の実施(「もっと具体的に褒めよう」「フィードバックの仕方を学ぼう」)
- 評価項目の細分化(「より公平に、多角的に見よう」)
- 1on1の義務化(「コミュニケーションの量を増やそう」)
これらは決して間違いではありません。しかし、現場の管理者はこう感じています。
「スキルを学べば学ぶほど、部下との距離が遠くなる気がする」 「項目が増えるほど、部下の『人間味』が消えて、ただのデータに見えてくる」
ある管理者は、私にこう漏らしました。 「1on1で『最近どう?』って聞くのが苦痛なんです。部下が気を使っているのが分かるから。社長は『対話を増やせ』と言いますが、形だけの対話が増えるほど、お互いの孤独が深まっているような気がして……」
仕組みを整えれば整えるほど、管理者は「制度の番人」であることを強要されます。 「会社が決めた基準」という正解があるために、管理者は自分の言葉で、自分の五感で感じた部下の良さを語ることを、無意識に封印してしまうのです。
そこにあるのは「役割の翻訳不足」かも
なぜ、誰も悪くないのに、このようなズレが起きるのでしょうか。 それは「努力不足」でも「制度の不備」でもなく、組織の中に潜む「構造上のズレ」に原因があります。
多くの現場で見られるのは、「期待の翻訳」というプロセスの欠如です。
- 経営者の視点: 抽象的な「理念」や「期待」を、評価制度という「パッケージ」に込めて現場に投げる。
- 管理者の視点: 渡された「パッケージ」をそのまま部下に手渡そうとするが、自分の言葉になっていないため、重みがない。
- 部下の視点: 渡された「パッケージ」の中身が、自分の日々の苦労や喜びと結びつかず、他人事のように感じる。
社長が願う「成長予感」や「貢献実感」は、評価制度という「箱」を導入しただけでは生まれません。 その箱の中に、管理者が「自分の目で見た部下の姿」を、管理者の言葉で詰め込む余裕があるか。そして、その「管理者が見た部下の姿」を、経営者が「それでいい」と信じ切れているか。
今の構造では、管理者は「客観的であらねばならない」という呪縛に縛られ、最も大切な「あなたをこう見ている」という視点を失っているのではないでしょうか。
評価制度が、部下を裁くための「物差し」になってしまい、部下を照らすための「光」になっていない。 この「機能のすり替わり」こそが、管理者を沈黙させ、現場に冷ややかな空気を生んでいる正体かもしれません。
社長への静かな問い
佐藤課長は、どうしようもないままゆっくりと立ち上がりました。 次の会議の時間が迫っています。 彼はまた「管理者」という仮面を被り、平然とした顔で現場に戻っていくでしょう。
少しだけ想像してみてください。
社長が信頼して背中を任せているあの管理者は、評価面談の記録を書き終えた後、どんな顔でパソコンを閉じているでしょうか。 その表情には、部下の成長を喜ぶ手応えがありますか? それとも、「今日も無難にこなした」という虚無感が漂っていますか?
もし、管理者が「自分の言葉」を失っているとしたら。 それは、彼らの能力のせいではなく、彼らに「正解(制度)」を求めすぎている、今の構造のせいかもしれません。
彼らが部下と向き合うとき、きれいな「評価用語」で体裁を整えることに必死になり、本当に伝えたかったはずの「素直な期待」を飲み込んでしまっていないか。
もし管理者が、評価シートの項目を埋めることだけに疲れ果てているとしたら、それは間違った運用に進んでいるサインかもしれません。
まとめ
管理者が「制度上の正解」ばかり意識すると、その言葉は機械的になってしまうことがあります。
「制度の基準ではこうなっているけれど、一人の上司としては、あいつのあの踏ん張りを評価したいんだ」
そんな、評価シートの枠には収まりきらない管理者の「はみ出した本音」をどのくらい大事にできるか、ここに、形骸化した制度が再び血の通ったものへと変わるヒントが隠されているかもしれません。
制度を完璧に運用させることよりも、まずは管理者が部下をしっかり見ていけるような環境づくりを考えてみませんか?