「同じ会社なのに、給与がバラバラでいいのか?」──新規事業の賃金設計、経営者が手にした「納得感の正体」
「伊東さん、新しい事業の求人を出したいんですが、給与をいくらに設定すればいいか全く見当がつかないんです」
建設業から不動産仲介業への新規参入。 意気揚々と事業を立ち上げた経営者の足を止めていたのは、「相場」という名の見えない壁でした。
建設業には建設業の、不動産業には不動産業の「給与相場」があります。 しかし、それをそのまま社内に持ち込もうとすると、既存の社員との格差が生まれ、組織がバラバラになってしまうのではないか。
経営者は、机の上に広げた他社の求人票を眺めながら、深い溜息をついていました。
「正解」を求めて、迷路に入り込む経営者
「不動産業界の相場を調べて、うちの規定に無理やり当てはめるべきでしょうか?」 「それとも、いっそ完全に別会社として分けた方がいいんですかね?」
相談の初期、経営者の問いは常に「やり方(How)」にありました。 ネットの統計データや、同業他社の事例を一生懸命集めては、自社とのギャップに「どうすればいいんだ」と頭を抱える。
これは、経営者が真面目だからこそ陥る罠です。 外側の「正解」に自社を合わせようとすればするほど、経営者自身の「判断の軸」がブレていくのです。
そもそも「相場」とは、他社ではなく「自社の覚悟」にある
私はこの支援で、あえて「不動産業界の一般的な給与額」をお教えすることはしませんでした。代わりに、経営者と一緒にじっくり取り組んだのは、「自社にとっての物差し」を決めていく作業です。
そもそも、なぜ同じ会社で給与に差が出るのか。 それは、職種によって「背負っている責任の種類」が違うからです。
- 建設部門:長年の現場作業で培った「技術」と「安全」への責任
- 不動産部門:一瞬の好機を逃さない「情報」と「スピード」への責任
この「違い」を曖昧にしたまま、金額の数字だけをいじっても納得感は生まれません。
私は経営者に質問をしました。 「新しく入る社員に、どんなリスクを背負わせ、どんな成果を期待するのか。それを既存の社員に、どういう言葉で説明したいですか?」
二つの事業を貫く、共通の「物差し」を設定する
話し合いを重ねる中で、だんだんと経営者の中に一つの「物差し」が形作られていきました。
それは、「給与とは、その人が市場で稼ぐ力(市場価値)と、社内で発揮する役割の合計である」というシンプルな定義です。
不動産仲介の給与が建設部門より高く設定されることがあっても、それは「不動産が偉い」からではない。市場の流動性が高く、個人の営業力に依存するリスクを会社が給与として反映させているだけ。
一方で、建設部門の安定した給与は、会社が長年かけて築いた「信頼」という資産を支える守りの責任に対する対価である。
こうして「金額」ではなく「意味」を整理していくと、経営者の表情が少しずつ晴れていきました。 「制度を分けるかどうか」で悩んでいたのが、「どういう理屈で差を認めるか」という判断基準に変わったからです。
【変化】「いくら払うか」ではなく「なぜ払うか」を語れる強さ
支援から数ヶ月。その経営者は、自信を持って不動産部門の求人を出しました。 設定した給与額は、以前なら「高すぎるのでは」と躊躇していた数字です。
しかし、今の経営者は迷っていません。 既存の幹部社員に対しても、こう説明したそうです。
「新事業はこれだけのリスクを負ってもらうから、この基準でいく。その代わり、会社全体の利益が出たときは、建設部門の君たちの安定した基盤もさらに底上げする。これが、うちのやり方だ」
経営者が「自分なりの定規=基準」を手に入れた瞬間、周囲への説明も、求職者への提示も、驚くほどスムーズになりました。
制度を作る前に、経営者が持つべき「自分なりの定規」
私は、社外人事として「一般的なルールブック」を納品することに価値を置いていません。 それよりも、経営者の手元に「迷ったときに立ち返れる物差し」を残すことを大事にしています。
制度は、会社が成長すれば必ず古くなります。 しかし、経営者が一度手に入れた「判断の軸」は、次の新規事業のときも、組織改編のときも、一生使い続けることができます。
もし、今「決められない」もどかしさを抱えているなら
「相場がわからない」「格差が怖い」「基準が作れない」 そのもどかしさは、あなたが会社の未来に対して誠実に向き合っている証拠です。
でも、外側に正解を探しに行っても、納得のいく答えは見つかりません。 必要なのは、あなたの内側にある「この会社をどうしたいか」という想いを言語化し、揺るぎない「物差し」に変える作業です。
「正解を教えてもらう」のではなく、「自分で判断できる軸を作りたい」。 そんな段階にいらっしゃるなら、一度じっくりお話ししませんか。
その物差しがあれば、新しい事業への挑戦は、きっとよりやりやすくなるはずです。